失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織
あらゆる業界で失敗はつきものだ。特に人間がやることには100%の完璧は無い。超一流のスポーツにおいても、失敗の積み重ねの上に華々しい成績がある。
本書の中で特に印象的だった「医療業界」と「航空業界」の失敗について取り上げる。
ある医療ミス
37歳の女性が、副鼻腔炎の一般的な手術をした事例。
まず、手段の前に麻酔をした際に、呼吸の補助に必要な酸素マスクのような器具があるが、通常、チューブを口から挿入して気管から肺まで酸素を送り込む。
ところが、この女性の場合、顎の筋肉が硬直していたせいか、口にチューブが挿入できない。すでに麻酔を打っているため、呼吸が出来ず「血中酸素飽和度」が下がっていった。
「なぜ入らないのだろう」と、ベテラン医師は気管挿入に集中していた。でも、時間だけが刻々と進んでいき、酸素欠乏状態が続く。
このような緊急時には、気管を切開して直接チューブを挿して気管へ通す手段がある。そして、看護師は気管切開キットを用意して、ベテラン医師に声をかける。しかし医師は「何の反応も示さず」作業に没頭している。だが、一向にうまくいかない。医師たちの心拍数は劇的に高い状態にあり、そのような強いストレス下では、人間の基本的な生理反応により視野は狭まり、認識力も低下する。
看護師はもう一度声をかけるか苦悶していたが、医師たちはますます口からの気道確保に躍起になっていて、結局声をかけられなかった。
結果、酸素欠乏状態から20分後に挿入でき、酸素飽和度は戻ったが、時すでに遅し。
彼女の脳には壊滅的な損傷が残り、昏睡状態から13日後に帰らぬ人となりました。
医師はこう言いました。
「麻酔の段階で問題が起こりました。避けようがありませんでした。こういう事は時々起こるんです。原因は分かりません。麻酔科医らは最善を尽くしましたが、どうしても状況変えることができませんでした。大変残念です。偶発的な事故でした」
歴史上最も有名な航空事故
ユナイテッド航空173便の事例。
ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港からオレゴン州のポートランド空港への便。天気は快晴で飛行条件はほぼ完璧。機長、副操縦士も経験豊富のベテラン揃いで乗客は何の心配もなかった。
しかし、問題の事故はポートランド空港へ着陸する際に起こった。
機長がランディングギアのレバーを下げ、車輪を下ろして定位置にロックさせるのだが、その際に、「ドン!」という大きな音とともに機体が揺れた。
機長は「問題を確認するまで飛行時間を延長したい」と言い、ポートランド郊外上空で旋回飛行に入った。
クルーは確認作業を始めた。さまざまな手を尽くして、すべての状況から考えて、車輪は正しくロックされていると思われた。しかし、機長はまだ心配だった。仮に車輪が出ていない場合は胴体着陸となりリスクを伴う。彼は頭の中で必死に解決方法を探した。
そうしている間に、燃料はどんどん減っていった。タイムリミットが迫り、航空機関士が機長にそれを知らせた。ところが機長は「何の反応もせず」車輪の問題にこだわった。機長は考え続けた。なにか他の確認方法があるのではないか。
すでに機長は「時間の感覚」を失っていた。
副操縦士と航空機関士はなぜ機長が着陸しようとしないのか理解出来なかった。しかし権限を持っているのは機長だ。彼が最も経験を積んでいる。
そして、ついに燃料不足によりエンジンがフレームアウト(停止)した。
実はこのとき、173便は安全に着陸できる状態だった。のちの調査で車輪は正しく下りてロックされていたことが判明している。もしそうでなかったとしても、ベテランのパイロットなら一人の死者も出さずに胴体着陸できたはずだった。
しかし、時すでに遅し。機体は燃料切れの状態で大都市の上空にいた。機長は思った。「燃料はいったいどこへ消えてしまったのか?いつの間にそんな時間が経ったのか?」
結果的にこの事故は、乗客8名と乗員2名の命が犠牲になった。
この医療事故と航空事故、どちらにも共通するパターンがある。車輪の問題にこだわり続けた機長と、気管挿入にこだわり続けた医師。どちらも認識力が激しく低下していた。機長は燃料切れの危機に気づかず、医師は酸素欠乏の危機に気づかなかった。機長は車輪問題の答えを探すのに必死で、医師は気管チューブを挿入するのに必死だった。迫りくる惨事は全く無視された。
しかし、肝心なのはふたつの事故の類似点ではなく、相違点だ。失敗後の対応の違いだ。
医療業界には「言い逃れ」の文化が根付いている。ミスは「偶発的な事故」「不測の事態」と捉えられ、医師は「最善を尽くしました」と言っておしまいだ。しかし、航空業界の対応は劇的に異なる。失敗と誠実に向き合い、そこから学ぶことこそが業界の文化なのだ。彼らは、失敗を「データの山」と捉えている。
航空事故が起こると、航空会社とは独立した調査機関、パイロット組合、さらに監督行政機関が、事故機の残骸やその他さまざまな証拠をくまなく調査する。
事故の調査結果を民事訴訟で証拠として採用することは法的に禁じられているため、当事者としてもありのままを語りやすい。もっと言えば、パイロットはニアミスを起こすと報告書を提出するが、10日以内に提出すれば処罰されない決まりになっている。こうした仕組みも、情報開示性を高めている一因だ。
前述の医療事故と航空事故、話を二つのの共通点に戻すが、医師と機長、いずれもひとつのことに集中すると、ほかのことには一切気づけなくなっていた。そして時間の感覚を失っていた。集中とはある意味恐ろしい能力である。決して職務に集中していなかったわけではなく、むしろ集中しすぎていたからだ。
そしてもう一つ。チームのコミュニケーションだ。医師や機長がベテランで権威のある立場だからこそ、周りの部下たちは上司に対して強く言及できない。上下関係を配慮し過ぎて、部下は緊急時にも声を大にして言えないのだ。
問題は当事者の熱意やモチベーションにはない。改善すべきは、人間の心理を考慮しない「システム」の方である。
「ヒューマンエラー(人的ミス)」の多くは、設計が不十分なシステムによって引き起こされる。その事実を理解して、改善をするのかしないのか。ここに大きな差が生まれる。