夢と金
ベストセラーとなっている西野亮廣さんの最新本。彼がVoicyで話していることを体系的にわかりやすくまとめた内容になっている。その中からいくつかエッセンスを切り出してみる。
「プレミアム」と「ラグジュアリー」
たとえば、車のメーカーでいうと、ベンツやBMWがプレミアム。フェラーリやランボルギーニがラグジュアリー。プレミアムであるベンツやBMWは、車としての機能や性能が高い上に、ある種ドヤれるブランドとして、意味がある。つまり、同じ機能や性能を持ち合わせているトヨタや日産よりは高くても売れる。
一方、ラグジュアリーであるフェラーリやランボルギーニは、「役には立たないけど意味がある」というポジションにいる。2人しか乗れなかったり、ドアが縦に開いたり、350キロのスピードが出せたり、普段乗るの機能としては役に立たないものばかりだ。つまり「意味しかない」車である。
それぞれの値段を比べると、日本車はせいぜい200〜400万円、ベンツは700万円くらい、そしてスーパーカーは「数千万円」。つまり、「役に立つけど意味がない車」が一番安くて、「役に立つし意味がある車」が次に高くて、「役に立たないけど意味がある車」が最も高いという構図。
ここで「プレミアム」と「ラグジュアリー」の違いを説明すると、「プレミアム」とは「競合のいる中での最上位の体験」であり、「ラグジュアリー」とは「競合がいない体験」である。
ラグジュアリーのカラクリ
エルメスやルイ・ヴィトンなどのハイブランドも競合がいないラグジュアリーに位置する。たとえばヴィトンを買う時、フラッとついでに買うということはない。ヴィトンを買いに行くと決めて家から店まで直行するはずだ。要するに目的を持って買いに行く人ばかりだ。であれば、ヴィトンの店舗はわざわざ都心の家賃の高い場所に店を構える必要はないはず。でも、わざわざ人通りの多い繁華街の一番家賃が高そうな場所にあえて店を構えているのはなぜか。
それは、「ラグジュアリーブランド」の位置を保つためだ。多くの人が店の前を歩いているのに、フラッと寄って買えるような値段の商品は置いていない。つまり、「多くの人が知っている」のに「買える人は少ない」という状態だ。これがラグジュアリーブランドだ。
ラグジュアリーを式にすると、「ラグジュアリー」=「認知度」−「普及度」
たとえばTシャツ一つとっても、ユニクロとヴィトンで、使っている素材や縫製の技術力の差はさほど変わらないが、値段が圧倒的に違うのは、この「ブランド戦略」によるものだ。
「ハイスペック」と「オーバースペック」
たとえばラーメン屋さん。味が「60点」のラーメンを「80点」にすれば「+200円」になるかもしれないが、「97点」のラーメンを「98点」にしたところで、「+100円」にはならない。にもかかわらず、ラーメン屋の職人は「技術」を追い求めている。
ほとんどのお客さんにとって、「97点」と「98点」の違いはわからない。大抵の人の満足度が「85点」だとすると、すでにそこは超えている。要するに、値段に反映しづらい「点数」を追い求めているわけで、言ってしまえば、「お金にならない努力」を続けているのだ。満足ラインを超えた技術を「オーバースペック」と呼ぶ。「オーバースペック」は自己満足であり、お客さんの満足度にはカウントされない。
日本の代表的な失敗例でいうと「携帯電話」だ。各メーカーはこぞって「軽さ」を競い合い、すでにユーザーにとってはどうでも良いことに技術力を費やしていた。そこにiPhoneという黒船がやってきて、一気にゲームチェンジをされ、日本のメーカーは歴史的敗北をすることになった。
商売において「オーバースペック」は意味をなさない。無駄な資源を投じるだけだ。
「機能検索」から「人検索」へ
これもラーメン屋の例だが、今の時代に営業できているラーメン屋さんはどこも美味しい。不味くてハズレの店なんかない。美味しさが大体どこも同じなら、「ラーメン店A」よりも「ラーメン店B」よりも「いつもお世話になっている山田さんのラーメン屋さん」が選ばれるようになる。
「人検索」の世界では、「購買」と「支援」の境界線が曖昧になり、あらゆるサービスが「クラウドファンディング」や「ファンイベント」のように扱われる。つまり、商品を買う理由に「応援」という項目が入ってくる。そして何より、値下げをする必要がない。お客さんは人検索で選んだお店でクーポンを使わないし、むしろお金を使ってくれる。そこには、「応援代」が含まれているからだ。
「不便」がもたらすコミュニケーション
富士山は5合目までは車で行けるが、そこから先は歩いて登らなくてはいけない。かなり不便だ。でも、これがもしゴンドラやエスカレーターができて頂上まで簡単に行けるとなると、どうなるだろうか。登頂時の達成感も無くなり、富士登山の面白みは無くなる。
BBQにしても、会場のスタッフが炭に火をつけ肉を焼いてくれたとしたら、自分たちで肉を焼くという面倒は無くなるが、同時に楽しさも半減する。「不便」なところにコミュニケーションが生まれる。逆にいうと、不便のないところにコミュニケーションは生まれない。
そして、機能で差別化を図れなくなった現代においては、その「コミュニケーション」が最大の付加価値になってくる。自社のサービスに、あえて「不便」を戦略的にデザインすることが重要である。
最後に
西野亮廣さんは、「無」から「価値」を創り出す天才だ。みんなを巻き込み、熱狂を作り出し、そのサービスに「意味」を作り出す。なかなか素人が出来ることではないが、考え方としてはインプットしておく必要があると思う。