「具体⇔抽象」トレーニング
具体的であるとか抽象的であるとか、言葉としてはよく使っているが、それぞれ深掘りしていくと本当の意味が分かってくる。そして、具体化、抽象化を行き来させることで思考が広がる。
「抽象病」
たとえば、政治家の結局何がやりたいのか分からない公約であったり、他人の失敗についてやたら批判ばかりで代替案を出さない人であったり、具体的な数字を言わない目標を語る人たちのことをいう。
つまり「抽象病」というのは、「口だけでアクションにつながっていない」ことで、こういう人たちは「具体化」の側面が不足している状態だ。抽象的であることは一般的に世の中で批判をされることが多く、「抽象的でわからない」とか「もっと具体策を出せ」といった形で抽象病は取り上げられる。
「具体病」
たとえば、「具体的事例」がないと理解も実行もできない人、言われたことをそのまま実行することしかできない人、一度ルールや線引きが行われると、それを絶対的なものとして信じて疑わず、環境の変化に適応できない人。
つまり「具体病」というのは、思考停止した状態であり、このような人の仕事は真っ先に機械やAIに置き換えられていく。指示が全て具体的になっていれば、それは機械でも実行可能だからだ。これから必要となってくるのは、具体的な事象を抽象化して応用を利かせることだ。
「持ち家か賃貸か?」から分かる共通点
よく住居に関して「持ち家か賃貸か?」の論争が繰り広げられているが、これと同じような構図の話が住居以外にもないだろうか。これを考えることが抽象化と具体化を行き来するトレーニングになる。
持ち家と賃貸物件を、建物や部屋の話ではなく、何かを「購入して所有するのか、購入せずに都度払いにするのか?」という風に抽象化して考えれば、たとえば車を所有するのかカーシェアで利用するのか、CDや本を買うのかサブスクで利用するのか、と同じ構図だとわかる。
さらに展開していくと、「所有と利用」という概念を「フローとストック」という風に抽象度を上げて考えることもできる。企業経営で言えば、フローとは損益計算書の対象となるもので、ストックとは貸借対照表の対象となるものだ。つまり、賃貸の場合は毎月の家賃を損益計算書に計上するフローであるのに対して、所有するのは「資産」として貸借対照表に計上されるストックとなる。
「抽象」とは正解のない答え
具体化と抽象化というのは、「自分の頭で考える」ための方法論である。本に書いてあることを「誰かが出した答え」(知識)として学ぶのではなく、自分の頭で考えることの方がはるかに重要である。
そして、私たちの身の回りの生活や仕事におけるほとんどの場面では、そもそも絶対的正解などなく、あるのはむしろ「これを解として先に進んでよいのだろうか?」という自問自答との戦いである。その人やその状況において、その人が「最善だと思う選択肢」のみがあり、それをどこまで自分が信じられるかどうか。
逆にいうと、自分が下した意思決定を行動に移す場面においては、「全て正解」だと思い込んで実行に移すことが重要である。反面、自分がコントロールできない他人の人生に対して「それは不正解だ」と口をはさむのはしないことだ。
まとめ
具体的であるとか抽象的であるとか、これはどちらが良いとか悪いとかではない。どちらも行き来することが重要であるということだ。何かの事象を見ては、一度それを抽象化して、同じ構図のものはないかと考える。そして応用、転用して新しいアイデアを生み出す。
ただ、こればかりを考えていると疲れるから、単純に見たものを感情のまま受け取ることも大事だと思う。