無理ゲー社会
リベラルな社会となり、自分らしく生きられる時代となった。それは自由に生きるという人権が守られていることだ。
その自由社会の象徴でもある「資本主義社会」においては、新たなテクノロジーの急発展を助ける資金援助(投資)によりその進化が加速度的に進んでいく。
そのおかげで、世の中の人がより便利でより豊かな暮らしができるようになった。
才能のある者は称賛され富める時代。まさにユートピア。
がしかし、一方で、生きづらさを感じている人も多くいる。
社会から「自分らしく生きるべきだ」と圧力をかけられるが「自分らしく生きられない」人たちも多くいる。
貧困による将来不安。非モテによる劣等感。親の介護による閉塞感。いまと、これからを生きづらく感じている人たち。
そんな人たちは、リア充を見ると怒りが込み上げてくる。
そして最悪の事態を引き起こすことも。
彼ら彼女らは、自分で自分の死を自由にさせて欲しいと言う。こんな生きづらいディストピア(現実)から早く解放されたい。
こんな風に思う根源的な理由はなんだろう。
日本の若い人にとっては、将来の超高齢者社会を想像すると不安になるのは当然だろう。
自分たちが高齢者になった時には年金だけで生活していけない。だから老後資金のために貯金をしなくてはいけない。しかし、今の生活をするのに精一杯の低所得では貯金など出来ない。
そして、日本には100万人を超える「ひきこもり」がいて、80歳の親が50歳の子どもの面倒をみなければならない「8050問題」が顕在化してきた。
問題は、自分たちの明るい未来が見えないことだろう。もし結婚もせず子供もいなければ、その先には「孤独死」が待っているだけ。
自分の人生を変えたい。もちろんそう思う人が大半だが、人生の攻略難易度は高い。そう、「無理ゲー社会」だと諦める人が少なくないのだ。
「残酷な世界」と揶揄されるこのリベラルな世界で、それでもなんとかして生きていくべきなのだ。