世界2.0 メタバースの歩き方と創り方
バズワードになっている「メタバース」だが、それはどのような世界観で、一体どこまで進んでいるのだろうか。わかりやすい例えで言われるのが、映画「マトリックス」や「竜とそばかすの姫」の世界観だ。バーチャルの世界にログインすることで、現実世界とは切り離された、まるで夢の中にいるような状態を作りだす。これを実現するのがメタバースということだ。
メガ企業が投資している
昔からメタバース的な発想はあって、目新しいわけではないが、テクノロジーや通信環境が整ってきたことで、いよいよ動き出したというタイミング。なぜなら、メガ企業がこぞって兆円単位の投資をし始めたからだ。Facebookから社名を「Meta」にして本気度を表したマーク・ザッカーバーグ。AppleやMicrosoft、中国のテンセント、そしてディズニーや任天堂まで。
あと、メタバース内に経済圏を持ち込む動きもある。NFTというデジタルデータに所有権を発行する技術で、デジタルデータに資産価値をつけ、お金儲けをしたい勢も取り込む動きだ。これもメタバースを盛り上げていく一助にはなるだろう。
着実に近づきつつある仮想空間
一気にメタバースの世界へ行くというより、着実にそちらの世界(仮想空間)へ近づいているというのが正しい表現だろう。たとえば、現在でもInstagramやTikTok、LINEやスマホゲームなど、ある意味仮想空間に時間を費やしていると思う。現実世界で人と話す機会は減り、その価値も下がってきている。リアルに人と会っているのに、スマホばかり見ている人も少なくない。インスタの前では化粧をするのに、普段はスッピンという人もいる。
ビジネスシーンにおいても仮想空間は使われ始めている。オンライン会議やグループチャットなど、リアルに会う機会は減り、オンライン上で完結できる仕事が増えていると思う。要は、いま使っている2次元のツールが、メタバースのような3次元に移っていくだけの話で、むしろ自然の流れと言える。
進化する3DCG
宇宙開発が進み、宇宙に衛星がバンバン打ち上げられると、そこからリアルタイムに地球上の映像を取得できる。そして、その膨大なデータをAIで学習させ、超リアルな3DCG(仮想空間)を作ることができる。つまり、宇宙開発が進めば、メタバース開発も並行して進んでいくということだ。
そして、そのリアルな3DCGの世界は、あらゆるものに活用ができる。自分のアバターを作り、その別の世界(仮想空間)で動き回ることもできる。家に居ながら世界旅行もできる。(Googleストリートビューが3D空間になったと想像してみてほしい)
また、ビジネスシーンでは、デベロッパーがマンションやビルを建設する前に日照具合などのシミュレーションができたり、国が道路や橋を作る際の完成後のシミュレーションもできる。
メタバースがもたらす平等な世界
自分のアバターを仮想空間内で動かせるということは、現実世界とは違う新しい自分を解き放てるということだ。たとえば、容姿に自信がなく現実の世界では「非モテ」キャラの自分が、メタバースの世界ではモテモテキャラになることも可能だ。歌はうまいが容姿はイケていない人でも、メタバース内では人気を集める歌手になることも、それこそ、おじさんが女性のアバターになって人気者になることも可能だ。
そういう意味で言うと、メタバースは誰にでも平等にチャンスが与えられる世界だ。
本当の自分とは?
もともと人は、現実世界の中でも会う人やシーンによって、いろんな自分を演出していると思う。たとえば、家族といる時、職場や学校にいる時、気の置けない友達と一緒にいる時など、相手との距離感や立場によって、それぞれ違ったキャラクターになっていないだろうか。ひとりの人間の中に「多様な自分」が存在する感覚だ。
これが、メタバースが広まるにつれて、人々は仮想空間上でもいろんな自分を解放できるようになる。
外見と内面の密接な関係
人の性格、個性、人格は、身体的な特徴と密接に結びついていて、かつそれらは暮らしている環境によって相対的に変化するものである。という仮説がある。たとえば、身長180㎝の日本人男性がいたとして、その人は昔からスポーツでも活躍できて、高身長により相対的にモテ組となり、それが自信になって後天的に「明るく活発で勝ち気」といった人格が形成される。ただ、もし彼がオランダで生まれ育ったらどうだろう。オランダ人男性の平均身長は183㎝なので、平均より小柄な男性となる。そうなると、彼は明るく活発で勝ち気な人格になっていなかったのではないか。
つまり、人格は「身体の特徴に引っ張られている」という仮説だ。であれば、メタバース内のアバターを自分のなりたい外見にすれば、明るく活発で勝ち気な人格でいることができる。
まとめ
メタバースは、一言でいうと「もうひとつの世界」だ。現実世界とは違うキャラで入り込むことができ、どこか生まれ変わったような感覚になるのではないだろうか。
もちろん、その仮想空間はひとつだけではなく、プラットフォーム参入者の数だけ世界が増えていくだろう。それらへ自由にログインしていくだけだ。(InstagramやTikTokへログインするように)結局のところ、人々の「可処分時間」をいかに奪っていくかというゲームになるだろう。つまり、メタバースが、リアルにどこかに行くとか、リアルに人に会うとかよりも「価値」が高くなるかどうかだ。世の中に浸透していくには、そこがカギになるだろう。
精神科医が見つけた3つの幸福
自分は「幸せになりたい」家族には「幸せになってほしい」、例外なく誰もがこんな風に思うだろう。では、幸せとなんだろう。何を持って幸せと呼ぶのだろうか。
日本人の幸福度ランキングはいつも下位の方で、主要先進国の中では最下位である。これはなぜなんだろう。日本より裕福でない国はたくさんあるのに。このあたりを紐解いていく。
幸福の正体は「脳内物質」
人が幸せと感じるときに、脳の中では何が起きているのだろう。脳科学的には、ドーパミン、セロトニン、オキシトシン、エルドルフィン、ノルアドレナリンなど、100種類以上の幸福物質が出ている。中でも代表的なのが、「ドーパミン」「セロトニン」「オキシトシン」が3大幸福物資である。つまり、脳内でこれらの幸福物資が出た状態が幸せであり、幸福物質を出す条件というのが「幸せになる方法」であると言える。
幸福には優先順位がある
これらの物質を端的に説明すると、セロトニン的幸福とは「健康の幸福」で、心と体の健康のこと。オキシトシン的幸福とは「つながりと愛の幸福」で、友情、人間関係、コミュニティへの所属などの幸福。ドーパミン的幸福とは、お金、成功、達成、富、名誉、地位などの幸福である。
そして大事なことは、順番を間違えないことだ。セロトニン的幸福→オキシトシン的幸福→ドーパミン的幸福の順番が正解。言いかえると、「健康」→「つながり」→「お金、成功」の順。この順番を間違えると、幸福になるどころかむしろ思いっきり不幸になる可能性がある。
セロトニン的幸福を手に入れる方法
心と体の健康を維持するためには、まずは「睡眠」を十分にとり、適度な「運動」を継続すること。おすすめは「朝散歩」。朝の日光を浴びながらリズムよく歩くとよい。
セロトニン的幸福とは、「BEの幸福」、つまり「そこにある幸福」である。外に出たときに青空を見上げて「今日も青空で気持ちいい」と気づくことが出来ればそれだけでセロトニンが出る。このような小さな幸せに気づき、「毎日プチ幸せな人」になれば、結果として10年後に大きな幸せを得て「幸せな人生」を手に入れることができる。
そして、「今」にフォーカスすること。多くの人は、過去を考えて後悔し、未来を考えて不安になり、自ら不幸になっている状態である。今という「刹那」を大事に過ごすこと。
オキシトシン的幸福を手に入れる方法
人やペットとの「つながり」を持つ、あるいは、コミュニティやグループ、部活などに所属しているなど、とにかく交流を持つこと。真逆の状態は「孤独」だ。孤独はオキシトシン的幸福を失う。オンライン上でつながることも出来るが、やはりリアルコミュニュケーションが大事。
また、仕事を辞めてリタイヤすると、人と会う機会、話す機会が激減する。そうなると脳の刺激が減り、記憶力が25%低下し、認知症リスクも大きくアップする。「生涯現役」で働くことは認知症予防になる。
オキシトシンは「共感」「信頼」「寄り添い」で分泌される。つまり、ポジティブな人間関係を構築できれば、オキシトシン的幸福は自然に得られるということ。なので、人間関係を良好にするためにコミュニケーション術を学ぶことは大事である。
なお、結婚後にうまくいく夫婦は「ドーパミン的愛情」から、うまく「オキシトシン的愛情」に置き換わっているからだ。そのキーとなるのは、「感謝」と「親切」である。お互い相手のことを尊重し続けていれば「永続的な愛」になる。
ドーパミン的幸福を手に入れる方法
ドーパミンには「光」と「闇」がある。「自己成長」「達成感」などポジティブな方向でやる気になっている状態が「光」である。一方、お酒やギャンブルなどの依存症のように、ネガティブなことにハマってしまう状態が「闇」である。ドーパミンは、一言でいうと「もっともっとの物質」である。ドーパミンとうまく付き合うことが、人生で成功するか失敗するかの分かれ目であり、幸せになれるかどうかの分かれ目でもある。
ドーパミンを増やすには、「ワクワク」を増やすこと。それは何かに挑戦することや、楽しいイベントを企画することでも何でも良い。自分の立てた目標にチャレンジするだけで「やってみよう!」と思って行動するだけで、結果の如何を問わず、ドーパミンは分泌される。そして、理想は仕事の中でドーパミン的幸福を感じることだ。つまり、仕事をするときに「楽しい」と感じること。そして「自己実現」と「社会貢献」が一致した状態であること。
幸福の掛け算
ドーパミン的幸福は逓減しやすいため「お金」や「物欲」だけで幸せになることは難しい。つまり、単にお金や成功を手にしても、ドーパミンの分泌だけで幸福の持続効果は短い。そこに「感謝」を乗せることでオキシトシンが分泌され、持続的な幸福が得られる。そしてもっとも大事なのは、「健康」な状態でなくてはならない。
だからこそ、幸せのベースは、セロトニン的幸福、オキシトシン的幸福でしっかりと築いた上で、ドーパミン的幸福は、あくまで「プラスアルファ」の付加的な幸福と考えること。「お金・成功」「つながり」「健康」という「3つの幸福」、言うなれば「すべての幸福」を得るために、幸福は掛け算する。
幸福は「結果」ではなく「プロセス」
「幸せ」とは、いまこの一瞬の「状態」であり、「プロセス(過程)」である。「ゴール」でも「結果」でもない。なので、「今」幸せであることが重要である。なので、「幸せになりたい・なるために」ではなく、いまこの瞬間が「幸せな状態」なのだと認識すること。
悪魔の傾聴
この「悪魔の傾聴」というタイトルは秀逸だ。近年注目を集めている「傾聴」に、「悪魔」とつけると、めちゃくちゃ興味をそそられる。
著者はノンフィクションライターで、貧困女子やAV女優、風俗嬢など、累計3000人を取材してきた実績がある。その経験をもとに、本音を引き出す「傾聴スキル」を解説している。
HHJの三大悪
人と会話するあらゆる場面で絶対にやってはいけないこと。それは、「否定する」「比較する」「自分の話をする」だ。相手の話の腰を折ってしまう行為で、傾聴においては、もってのほかだ。逆に言うと、これらをしないだけで、まずは合格点はとれる。
ピックアップクエスチョン
すでに相手が発言した単語や主旨を拾い、即時に短い質問を投げかけるテクニック。会話の潤滑油として、相手が話したいことに沿って、短く一言の質問を投げる。相手にとっては、ちゃんと聞いてもらっている確認にもなり、こちらとしては相手の興味関心や話したいことを探っていける。自分の好き嫌いや興味関心は一切関係ない。とにかく相手が話を継続できる質問を心がける。
座り位置を意識する
傾聴時の座り位置はとても重要である。理想の位置は、対角線上、あるいはL字に座る。理由としては、距離が若干離れるくらいが圧迫感なく、お互いに心の余裕ができ、消耗が少なく済むからだ。これがお互い正面の位置だと、沈黙の時に目線の逃げ場がなく、緊張感と圧迫で、お互いの疲弊は早くなる。相手との距離が近いのはデメリットの方が大きい。
傾聴にのぞむ心構え
傾聴時は、相手のリズムに合わせることが大事である。そういう意味で「ミラーリング」は必須。相手の話すリズムに合わせて、こちらも同様のリズムで話す。相手が飲み物を飲めばこちらも飲む。そして、傾聴中はメモはとらない。聞き手のリズムに相手を合わせさせることになるからだ。
クローズド・クエスチョンは使わない
会話の始めに「YES」「NO」で答えられるクローズド・クエスチョンを投げてしまうと、相手に高圧的な印象を与えてしまう。そして、聞き手に対して疑問符が浮かんできて、モチベーションが下がっていく。話が広がらないばかりか、尋問をされているような印象で、相手はリラックスできない。
欲望の断捨離
聞き手の心の中にある「相手に信頼されたい」「相手から気に入られたい」「あわよくば、友達になりたい」みたいな欲望は捨てること。なぜなら、そのような欲望がなければ、自分の話をすることもなく、どんな質問も切り出せるからだ。質問に制限をかけることもなくなる。悪魔の傾聴は、本音を引き出すことが目的だから、相手に好かれたい、信頼されたいみたいな欲望は捨てること。
「成長」「学び」は危険な言葉
世の中には、必ずしも成長意欲のある人ばかりではない。成長したいと思わない、学びたいと思わない人は一定層いる。いや、むしろそちらがマジョリティかもしれない。そんな中、「成長」や「学び」という意欲的な発言や発信をすると、大多数の人に圧迫感や息苦しさを与えてしまう。
最後に
傾聴とは「技術」であり、意識しないとできないものだ。普段の会話からこれを使うと、自分の話が一切できないため、ストレスがたまると思う。なので、傾聴を使う時は、あえて意識して使う必要がある。油断すると自分の話をし始めてしまうからだ。この「悪魔の傾聴」はプロのテクニックなので、一般の人はもっと初級編を実践する方が良いと思う。
人は話し方が9割
2021年のベストセラー本である「人は話し方が9割」を初めて読んでみた。結論から言うと、至極当たり前のことが書かれている。話し方以前に人間関係の基本というか、そういう内容だった。長年売れ続けている「嫌われる勇気」もそうだが、人間関係についての書籍はよく売れるんだなあということが分かった。
コミュニケーションの達人だけが知っている三大原則
世の中には、すごくいいことを言っているのに、なぜか好かれない人がいる。一方で、月並みなことしか言わないのに、なぜか多くのご縁に恵まれてうまくいく人もいる。この違いは何か?
ここでのポイントは、話し方以前に「あること」を知っているかどうか。
①「人は誰もが自分のことが一番大切であり、自分に一番興味がある生き物である」②「本来、誰もが自分のことを認めてほしいし、自分のことをわかってほしいと熱望している」③「人は自分のことをわかってくれる人のことを好きになる」
想像してみてほしい。みんなで写った集合写真で真っ先に見るのはどこだろうか。そう、自分の顔だ。集合写真が手元に届いて、他人の顔を確認する人は滅多にいない。
つまり何が言いたいかというと、一番興味がある「相手自身」のことを主役にして話せば、相手は喜んで自分のことを話し、その話を聞いてくれる「あなた自身」のことを好きになる。という簡単な心理だ。
相手に9割しゃべらせる「拡張話法」
「拡張話法」には5つの順番がある。
①感嘆(相手の話を聞いた時に受ける感銘の表現)「へ〜!」「ほ〜!」「えー!」など、要はリアクションを大きめに取る。
②反復(相手の話を繰り返す)いわゆるオウム返し話法。相手の言葉を繰り返してリアクションする。
③共感(相手の話に感情を込めて理解を示す)「分かります」「大変でしたね」「よかったですね」など、相手の感情に寄り添う表現。
④賞賛(相手を評価する)「さすが!」「すごい!」「素敵」など、要は相手を誉める表現。
⑤質問(相手の話を中心に展開させていくためにその後を追いかけて聞く)「それで、それで」「その後どうなったの?」など、質問をして掘り下げていく。そうすると相手の話にドライブがかかる。
これら、「拡張話法」の最大の目的は、相手の話を「広げる」ことだ。ただ、話をしているのは相手だが、主導権はこちらが握っていると意識する。
名刺を受け取ったらすぐにしまってはいけない
名刺交換をした際に、まずは「相手の名前」を見る。そして名前を起点に話を振ると、初対面でも会話が弾みやすい。よくありがちなのは、相手の会社の住所や、相手の肩書き(部署名)を見て、そこから話を展開するのだが、それよりも相手の名前の方がインパクトが大きい。名前というのは、その人が生まれてからずっと共に生きてきたものだからだ。
そして、名前を声に出すことで、相手の名前を頭にインプットできる。名前を知ったら、すぐに名前で相手を呼び始めることが大事である。
相手との共通点は「食べ物」「出身地」「ペット」
初対面でも、お互いの共通点があるとすぐに会話が弾む。心理的にも、互いにぐっと近づいた気がする。そして、タブーがなく切り出せる話題としては、「食べ物」「出身地」「ペット」である。
①食べ物(好きな食べ物を聞いたり、よく行くお店を聞いたり、食べ物関連は話が広がりやすく、かつ明るく話せる話題)
②出身地(同郷でなくても、その土地に関する知識や経験談を話せば、相手は嬉しくなり自ら話し始める)
③ペット(日本はペットを飼っている人が多く、飼いたいと思っている人も多いため、誰もが共通する話題となりえる)
人は「笑わせてくれる人」より「一緒に笑ってくれる人」が好き
サービス精神旺盛な人は、何か面白い話をしてやろうとか、笑わせてやろうとか必要以上に力むことがあるが、実はそんなことは必要ない。自分がたくさんしゃべらなくても、流暢に話ができなくても、相手に気に入られようと無理にいい話をしなくてもよい。なぜなら、相手は「自分に共感してくれる人」を好きになるからだ。もし相手に好かれたいと思うなら、相手の話に一緒になって笑ってあげよう。そして、もっと聞かせてよというスタンスで話を聞こう。
「嫌われない話し方」は「好かれる話し方」以上に重要
人とのコミュニケーションにおいて、もっとも重要なことは、自ら「地雷を踏まないこと」だ。つまり、うまく話をするとか笑わせるとか、それ以前に、相手に嫌われないことだ。
自ら地雷を踏む人とはどういう人か。簡単にいうと「余計なひと言」を言ってしまう人だ。たとえば、「私ね、すごく大事にしているワンちゃんがいるの」と楽しそうに話しているにもかかわらず、「俺、犬嫌いなんだよね」と、すぐに言ってしまうような人だ。事実そうだったとしても、それを言う必要はない。ただ、「そうなんだねー」と反応するだけでよい。
運のいい人たちが使っている口ぐせ
日本人の一番好きな言葉は何か。それは「感謝」の言葉だ。
ビールを持ってきてくれた店員さんに「ありがとう」タクシーの運転手さんに「ありがとう」コンビニの店員さん「ありがとう」職場の人や家族、友人にも「ありがとう」
「ありがとう」「おかげさま」「感謝しています」これらの言葉は、口ぐせにしておいて損はない。そして、自分の言葉を一番よく聞くのは自分自身だ。なので、「いい言葉を口にする、口ぐせにする」ということは、精神衛生上、ものすごくプラスの効果がある。
最後に
この本のタイトルは「話し方」とあるが、実際には話の「聞き方」の方が大事である。そして、「心のあり方」がもっとも大事。相手の気持ちを察して、相手が喜ぶような話し方をする。それには、まず大前提として、その人と仲良くなりたいのかどうか?
もしこれが、どうでもよい相手だとすると、この本の内容の「逆」をやればよい。そうすれば好かれることはないし、相手としっかり距離を置ける。
もし好かれたいのならば、自分の話は極力抑えて、相手の話を引き出し、どんどん話させることが重要である。
マインド・コントロール
ふたたび世間を騒がせている「統一協会」だが、この宗教の何が問題なのだろうか。なぜ「カルト」と呼ばれているのだろうか。
広義の意味でのマインドコントロール
よく言われる「マインドコントロール」だが、同義で「洗脳」とも言われる。まず、マインドコントロールを定義付けると、「心や精神が支配されること」と言える。
であれば、割と日常的にこれは行われている。たとえばスポーツ選手が、コーチに心酔し何から何まで指示を仰ぐこと。あるいは教育ママがわが子に幼い頃から「勉学」を言い聞かすこと。これらも、ある種のマインドコントロールである。
では、宗教におけるマインドコントロールとの違いは何かというと、そのキーワードは社会通念や社会常識を前提とした「法規制」や「社会規範」に抵触するか否か、である。
マインドコントロールの「目的」が、たとえば大会で優勝することであったり、東大に入ることであれば、まったく問題ない。これが、「教団にカネを貢がせること」だったり、「サリンをまいて人々をポア(魂が生まれ変わる)すること」は、社会通念的にアウトである。さらに、その方法がやり過ぎると余計にダメだ。本人と家族を強制的に引き離したり、睡眠を取らせなかったり、食事を与えなかったり。さらには、法に触れるような詐欺、盗み、暴力、殺人などを指示されるなど。大会で優勝するため、東大に入れるために前者の手段はとらないと思う。
カルトは主に先進国で起こる
衣食住が足りて豊かな先進国では、人々の衣食住以外の欲求が出てくる。カルトというのは、衣食住が足りた社会でも満たされない「精神的な安定」を目指すものだからだ。仮に衣食住がままならない貧困国では、精神的な安定の欲求よりもその日の食事が大事だからだ。
そして、この「精神的な安定」は、目に見えないし、数字で定量的に分かるものではない。だからこそ「占い」とかに頼りたくなる。そしてズルズルとカルト宗教へハマってしまう。
ただ、カルト宗教以外にも、精神的な充実というか、パワーを与えるものがある。たとえば「パワースポット」。この大自然を目の前にすると、みるみる力がみなぎってくる。これ、まさに精神的な「思い込み」によるものだと思う。こういうものまで、マインドコントロールだと否定することはできないだろう。
いずれにしても、宗教など精神を満たすものというのは、衣食住に困らない「先進国」にのみ起こる事象であるといえる。
統一協会
教祖の文鮮明が1954年に韓国のソウルで創設した。イエスキリストが果たせなかった「人類救済」というメシアの使命を果たすのが自分と主張する文が、キリスト教に代わるものとして設立したという。表向きには「真の愛」で神が理想とする地上天国を実現すると唱える。しかし実際には、信者らが全国各地で霊感商法による違法な資金集めや詐欺、合同結婚式など、様々な社会問題を起こしてきた。お金は人間をダメにするため、天に送って浄化させるという理由で信者から多額の献金をさせ、霊感商法で稼がせ、結果的に信者をボロボロにさせているのが現実である。
オウム真理教
教祖の麻原彰晃こと松本智津夫が1984年に開設した。麻原は解脱して空中浮揚など超能力を身につけたと主張し、ハルマゲドン思想を唱え、神秘体験に憧れる若者を中心に組織を拡大した。
そして1995年、地下鉄サリン事件を起こし13人を殺害した。これだけではなく、88年に在家信者死亡事件、89年に男性信者殺害事件や坂本堤弁護士一家殺害事件などの凶悪事件を起こしていた。
結果、2006年に、教祖の麻原こと松本智津夫と、信者13人の死刑が確定した。
人を動かす6つの原理
カルト宗教は、人間の心理を巧みに利用して信頼を獲得し、最終的に「YES」と言わせるテクニックがちりばめられている。アメリカの社会心理学者チャルディーニ博士が唱えた、人に「YES」と言わせる6つの原理がある。
①返報性(人から何らかの恩恵を受けたら、お返しをしなければならない)
②コミットメントと一貫性(自分が何かしたら、その後も以前にしたことと一貫し続けたい)
③社会的証明(人は、他人が何を正しいと考えるかに基づいて、物事が正しいかどうかを判断する)
④好意(人は、自分が好意を抱いている人からの頼みを受け入れやすい)
⑤権威(人は権威に弱く、権威者の命令や指示には深く考えずに従いがちである)
⑥希少性(あるものが手に入りにくくなればなるほど、それを得る機会が貴重と思えてくる)
強迫観念は悪いことではない
カルトでは、相手に強迫的な観念を植え付けようとする。正確にいうと、その人の強迫観念になりそうなものを見つけて、不安や恐怖を煽り、より強い強迫観念になるように仕向ける。
悪用してはいけないのが前提だが、人間というものは、ある程度の強迫観念的な考えがなければ、行動を持続させるのが難しいことも事実だ。勉強でもスポーツでも、ただ楽観的なだけではうまくいかない。試験に落ちたらどうしよう、試合に負けたらどうしようといった不安な思いは、人を努力されるエンジンにもなる。
つまり、強迫観念自体が悪いわけではなく、それをどう利用するかということ。カルト宗教は、それを悪用しているということ。
日本の霊感商法は世界的に珍しい
日本は、無宗教ならではの「心の拠り所」がないため、このようなカルト宗教にも心酔してしまうことがある。キリスト教やイスラム教のように、確固たる信教があれば、新興宗教にハマることもないだろう。そういう意味でいえば、江戸時代にキリスト教を排除したことや、明治維新の時に仏教を中心とする既存宗教をつぶしてしまったことも、大きな問題だったと言える。
マインドコントロールを解くには
それでは、マインドコントロールにかかった人をどのように解けばよいのだろうか。まず、物理的に一番効果的なのが、その集団の場から「引き離す」ことだ。そうすれば徐々に日常の社会に慣れていき、いつか解ける日がくる。しかし、その引き離しが難しい。強引に引き離すと逆効果になってしまう。事故や病気で入院となれば、これはこれでラッキーなのだが、話し合いで引き離すことは簡単ではない。
しかし、難しいのだが、根気よく話し合うことが大事だ。とはいえ、決して本人をとがめたり教団の悪口を言ったりしてはいけない。教団側からも入れ知恵されているため逆効果になる。
そうではなく、本人にしっかり寄り添い、愛情を注ぎ、あくまで「自分の意思」で話し合いに応じてもらうことが大切だ。
そして、マインドコントロールが解ける時というのは、一瞬で解ける。見え方(パラダイム)がまったく変わるようだ。
「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日
東京ディズニーランドはどのような経緯で日本に入ってきたのだろうか。テーマパークの絶対王者は、誰が関わって日本に持ち込まれたのだろう。
浦安沖の埋立地
ディズニーランドを運営するオリエンタルランドは、三井不動産、京成電鉄などが浦安沖の埋め立てなどのために設立された会社だ。埋立地の一部は遊園地用地として利用することと決まっていたが、その時点では、ディズニーランドを誘致する話はなかった。しかしその後、電通から送り込まれた「堀貞一郎」が、視察旅行でフロリダのディズニーランドに衝撃を受け、これしかないと思い会社に提案した。そこからディズニーを招致活動を本格的に始めることになった。
史上最大のプレゼン
当時、ディズニーランドは、アメリカ国内以外にも進出しようとしていて、18カ国のオファーを受けていた。その中に、日本の「三菱地所」と「三井不動産」があった。三菱は、富士山麓(御殿場)につくるプランで、三井(オリエンタルランド)は、浦安の埋立地プランだ。
そして、ディズニー経営陣が来日し、2社のプレゼンを受けるわけだが、結果からいうと三井(オリエンタルランド)の圧勝に終わる。堀貞一郎のプレゼンは完璧だった。まず、ど頭に、通訳がいるのに大きな声で「日本語」で説明を始めた。これがウケて、そこから和やかな雰囲気で進められた。そして、現地視察のため浦安に移動するリムジンバスの中でも、事前に幹部の好みをリサーチして、ドリンクや食事でおもてなす。現地でも市長のあいさつ、おびただしい数の子供たちがアメリカ国旗の小旗を振ってお出迎えするなど。
そして、東京都心からの近さをアピールするためにヘリコプターを用意し、東京駅や新宿などを回り浦安へ舞い戻ってきた。三菱の御殿場との違いを見せつけるかのように。こうして三井(オリエンタルランド)が圧勝した。
2年半もの停滞期間
だが、その後すんなりとは進まなかった。2年半もの間、何も進展していなかった。理由は、親会社の三井不動産の社長が「ディズニーは時代後れ」としてストップをかけていた。当時、石油ショックの影響もあり経営状況もよくなく、もう一つの親会社である京成電鉄はさらに状況は悪かった。オリエンタルランドの社長に就任した「高橋政知」は、三井不動産の社長と真っ向から対決し、意地でもディズニーを作ると諦めなかった。しかし、三井から出資を減らされピンチに立たされた高橋は、銀行を駆けずり回りなんとか窮地を脱する。この時助けてくれたのが日本興業銀行の副頭取だ。隠れたディズニーファンが東京ディズニーランドの実現の危機を救った。そして高橋は親会社を無視して強引に本契約を結んだ。
最後に
東京ディズニーランドは、2年間の建設期間を経て、1983年4月に華やかなオープニングセレモニーを行った。やがて年間2500万人を集め、2500億円以上を稼ぐ世界屈指の巨大テーマパークに成長していった。
1964年の東京オリンピックで、新幹線や高速道路、首都高やモノレール、各体育館などが造られ、社会インフラが一気に整った。1970年の大阪万博で、日本の文化に革命が起きた。アイデアやクリエイティブにもきちんとお金を払うようになる、ターニングポイントとなった。そして東京ディズニーランドの大躍進。
このように、今日の日本を築き上げていく過程においては、さまざまなターニングポイントがある。その歴史を知っておくことは為になる。
サラ金の歴史 消費者金融と日本社会
サラ金、いわゆる「サラリーマン金融」だが、一体いつから始まったのだろうか。その変遷を辿ってみる。
サラ金業界の変遷
もともと、個人間でのお金の貸し借りは戦前からあったものだが、事業としてやり始めたのは、1960年代からだ。消費者金融で有名な、アコム、プロミス、アイフル、武富士、レイクなどは、この頃に創業した。
最初は、上昇志向の高いサラリーマンだけに貸していた。つまり、出世のための交際費として、飲み代やゴルフやマージャンなど、いわゆる「前向き」な支出に対しての貸付け需要だ。こういう人たちは、バリバリ仕事して出世してしっかり返済してくれる。さらに、生活家電が急激に浸透していく時代たったので、借金してまで家電が欲しいという強烈な物欲があったのだ。
ただ、1970年代に入ると、高度経済成長にかげりが見え始め、どちらかというと、生活困窮者に対する貸付けが増えていく。いわゆる「後ろ向き」な需要だ。この頃の金利は、年利100%が当たり前だった。つまり、100万円借りたら、1年後には借金は200万になる。こんな高金利だと、当然返せない人も増えてくる。そして、夜逃げや自殺などが増え、社会問題化してくる。
そうなると、当然規制が入る。1983年に「貸金業規制法」が成立し「出資法」も改正され、上限金利が109.5%から73%に引き下げられた。その後も上限金利は引き下げられていく。
加えて、銀行からの融資額も抑えられ、その後、大手各社は「冬の時代」を迎えていくのだが、バブル期を境に再び急成長を遂げていく。その原動力となったのが、1993年に登場した「自動契約機」だった。一番有名なのがアコムの「むじんくん」だろう。この自動機の導入により、低コストで全国に店舗数を増やして、サラ金は多くの新規顧客を獲得していった。
銀行からの借り入れられる融資額も増え、キャッチーなCMなどで一般大衆への認知度も上がり、この頃次々と上場し、経団連へも入会している。名実ともに一流企業の仲間入りを果たした。
しかし、栄華を極めたサラ金業界は、2000年に入る頃から一転して没落し始める。その原因は、やはり貸し倒れの増大だ。バブル後の顧客の苦境は深刻だった。多重債務者や自己破産者が増え、返済不可能な人の割合が増えていった。
そして、サラ金に対する批判の声も次第に大きくなっていった。その呼び水となったのが、商工ローンやヤミ金業者の存在だ。とくにヤミ金の取り立ての厳しさは、サラ金の比ではない。そして反社会勢力も関わっていた。裏のヤミ金、表のサラ金だが、世間には金貸しにはダークなイメージが植えつけられた。
そして、世論に動かされるように、2010年に施行された「改正貸金業規制法」により、上限金利は29.2%から20%に大きく引き下げられた。この改正は、サラ金業界にとっては極めて大きなものだった。このあたりから、サラ金業界は、大手銀行の傘下となり、ほぼ完全に銀行システムの内部に組みこまれていった。
金融リテラシーの無さが生んだ産物
サラ金の誕生から衰退まで見てみると、その時代その時代の歴史的背景が浮かび上がる。戦後から復活する高度経済成長期には、何もないところから働いて稼げば稼ぐほどモノが買えて、目に見えて豊かになっていく。皆んなが皆んなそうだから、取り残されていけないという意識が働く。そして、お金が足りない時には利息を払ってでも、いますぐモノを手に入れたかった。
そして、高度経済成長が終わり、バブルがはじけ、その後「失われた30年」と言われるほど低迷していく日本においては、日々の生活すら厳しいという生活困窮者が増えていく。そのような人たちの、セーフティネットとしての役割となったのがサラ金業界だ。
しかし、よくよく「利子」の仕組みを理解し計算してみると、ほんとにバカバカしい。利ざやで稼ぐ金融業界にとってみれば、いかにその仕組みを分からせないようにするかだ。金融業界や投資家は、「複利」というマジックを使って、いかにお金を増やすかを考える。逆に、借金してしまうひとは、「逆複利」という蟻地獄にはまってしまう。借りる時には気軽に借りれるが、返せど返せど、借りた元本は減らず、利子だけを払い続ける恰好だ。なので、金融リテラシーの低い人が多ければ、利ざやで稼ごうというプレイヤーが出現する。
身近にある貸し金
金融リテラシーが低いためにムダなお金を支払っている例は、なにもサラ金だけには限らない。たとえば、クレジットカードのリボ払い。そしてサラ金の後釜である銀行のカードローン。
あるいは、給与の前借りシステム。これも毎回手数料がかかるため、実質的には利ざやを抜かれている。そして、最近増えているのが、LINEポケットマネーだ。これは、消費者金融で借りている人向けの、借り換え専用ローンである。LINEスコアという審査を受け、事前に返済金利がわかる。
いまや、スマホ上で気軽に借り入れができるサービスがあるので、利ざやを狙うプレイヤーはすごく身近なところに存在する。デジタル化により、カジュアルに借りられる仕組みが整っているのが現代だ。
最後に
膨大な数の「負け組」を絶えず作り出していくことで、サラ金は「勝ち組」にのし上がっていった。しかし、サラ金業者は、21世紀に入って強化された規制により、かつての栄光を喪失した。サラ金は、もはやその「社会的使命を終えた」と言えるのかもしれない。
借金には「良い借金」と「悪い借金」がある。「良い借金」とは、投資や事業のためにお金を借りることだ。もちろん借入利子を支払う必要はあるが、それを上回る利回りがあれば、その「分利ざや」を稼げる。この投資利回りと借入金利の差を「イールドキャップ」という。
なお、悪い借金とは、投資利回りがないのに、ただ借り入れ金利を支払うだけの借金。サラ金はこれにあたる。