気ままに本要約ブログ

本を読んでアウトプットすることではじめてインプットできる!自分自身の為と、ブログを読まれた方へ少しでも参考になれば良いかなと思い、気ままに書評を書いていきます。

マインド・コントロール

ふたたび世間を騒がせている「統一協会」だが、この宗教の何が問題なのだろうか。なぜ「カルト」と呼ばれているのだろうか。

 

広義の意味でのマインドコントロール

よく言われる「マインドコントロール」だが、同義で「洗脳」とも言われる。まず、マインドコントロールを定義付けると、「心や精神が支配されること」と言える。

であれば、割と日常的にこれは行われている。たとえばスポーツ選手が、コーチに心酔し何から何まで指示を仰ぐこと。あるいは教育ママがわが子に幼い頃から「勉学」を言い聞かすこと。これらも、ある種のマインドコントロールである。

では、宗教におけるマインドコントロールとの違いは何かというと、そのキーワードは社会通念や社会常識を前提とした「法規制」や「社会規範」に抵触するか否か、である。

マインドコントロールの「目的」が、たとえば大会で優勝することであったり、東大に入ることであれば、まったく問題ない。これが、「教団にカネを貢がせること」だったり、「サリンをまいて人々をポア(魂が生まれ変わる)すること」は、社会通念的にアウトである。さらに、その方法がやり過ぎると余計にダメだ。本人と家族を強制的に引き離したり、睡眠を取らせなかったり、食事を与えなかったり。さらには、法に触れるような詐欺、盗み、暴力、殺人などを指示されるなど。大会で優勝するため、東大に入れるために前者の手段はとらないと思う。

 

カルトは主に先進国で起こる

衣食住が足りて豊かな先進国では、人々の衣食住以外の欲求が出てくる。カルトというのは、衣食住が足りた社会でも満たされない「精神的な安定」を目指すものだからだ。仮に衣食住がままならない貧困国では、精神的な安定の欲求よりもその日の食事が大事だからだ。

そして、この「精神的な安定」は、目に見えないし、数字で定量的に分かるものではない。だからこそ「占い」とかに頼りたくなる。そしてズルズルとカルト宗教へハマってしまう。

ただ、カルト宗教以外にも、精神的な充実というか、パワーを与えるものがある。たとえば「パワースポット」。この大自然を目の前にすると、みるみる力がみなぎってくる。これ、まさに精神的な「思い込み」によるものだと思う。こういうものまで、マインドコントロールだと否定することはできないだろう。

いずれにしても、宗教など精神を満たすものというのは、衣食住に困らない「先進国」にのみ起こる事象であるといえる。

 

統一協会

教祖の文鮮明が1954年に韓国のソウルで創設した。イエスキリストが果たせなかった「人類救済」というメシアの使命を果たすのが自分と主張する文が、キリスト教に代わるものとして設立したという。表向きには「真の愛」で神が理想とする地上天国を実現すると唱える。しかし実際には、信者らが全国各地で霊感商法による違法な資金集めや詐欺、合同結婚式など、様々な社会問題を起こしてきた。お金は人間をダメにするため、天に送って浄化させるという理由で信者から多額の献金をさせ、霊感商法で稼がせ、結果的に信者をボロボロにさせているのが現実である。

 

オウム真理教

教祖の麻原彰晃こと松本智津夫1984年に開設した。麻原は解脱して空中浮揚など超能力を身につけたと主張し、ハルマゲドン思想を唱え、神秘体験に憧れる若者を中心に組織を拡大した。

そして1995年、地下鉄サリン事件を起こし13人を殺害した。これだけではなく、88年に在家信者死亡事件、89年に男性信者殺害事件や坂本堤弁護士一家殺害事件などの凶悪事件を起こしていた。

結果、2006年に、教祖の麻原こと松本智津夫と、信者13人の死刑が確定した。

 

人を動かす6つの原理

カルト宗教は、人間の心理を巧みに利用して信頼を獲得し、最終的に「YES」と言わせるテクニックがちりばめられている。アメリカの社会心理学者チャルディーニ博士が唱えた、人に「YES」と言わせる6つの原理がある。

①返報性(人から何らかの恩恵を受けたら、お返しをしなければならない)

②コミットメントと一貫性(自分が何かしたら、その後も以前にしたことと一貫し続けたい)

③社会的証明(人は、他人が何を正しいと考えるかに基づいて、物事が正しいかどうかを判断する)

④好意(人は、自分が好意を抱いている人からの頼みを受け入れやすい)

⑤権威(人は権威に弱く、権威者の命令や指示には深く考えずに従いがちである)

⑥希少性(あるものが手に入りにくくなればなるほど、それを得る機会が貴重と思えてくる)

 

強迫観念は悪いことではない

カルトでは、相手に強迫的な観念を植え付けようとする。正確にいうと、その人の強迫観念になりそうなものを見つけて、不安や恐怖を煽り、より強い強迫観念になるように仕向ける。

悪用してはいけないのが前提だが、人間というものは、ある程度の強迫観念的な考えがなければ、行動を持続させるのが難しいことも事実だ。勉強でもスポーツでも、ただ楽観的なだけではうまくいかない。試験に落ちたらどうしよう、試合に負けたらどうしようといった不安な思いは、人を努力されるエンジンにもなる。

つまり、強迫観念自体が悪いわけではなく、それをどう利用するかということ。カルト宗教は、それを悪用しているということ。

 

日本の霊感商法は世界的に珍しい

日本は、無宗教ならではの「心の拠り所」がないため、このようなカルト宗教にも心酔してしまうことがある。キリスト教イスラム教のように、確固たる信教があれば、新興宗教にハマることもないだろう。そういう意味でいえば、江戸時代にキリスト教を排除したことや、明治維新の時に仏教を中心とする既存宗教をつぶしてしまったことも、大きな問題だったと言える。

 

マインドコントロールを解くには

それでは、マインドコントロールにかかった人をどのように解けばよいのだろうか。まず、物理的に一番効果的なのが、その集団の場から「引き離す」ことだ。そうすれば徐々に日常の社会に慣れていき、いつか解ける日がくる。しかし、その引き離しが難しい。強引に引き離すと逆効果になってしまう。事故や病気で入院となれば、これはこれでラッキーなのだが、話し合いで引き離すことは簡単ではない。

しかし、難しいのだが、根気よく話し合うことが大事だ。とはいえ、決して本人をとがめたり教団の悪口を言ったりしてはいけない。教団側からも入れ知恵されているため逆効果になる。

そうではなく、本人にしっかり寄り添い、愛情を注ぎ、あくまで「自分の意思」で話し合いに応じてもらうことが大切だ。

そして、マインドコントロールが解ける時というのは、一瞬で解ける。見え方(パラダイム)がまったく変わるようだ。