気ままに本要約ブログ

本を読んでアウトプットすることではじめてインプットできる!自分自身の為と、ブログを読まれた方へ少しでも参考になれば良いかなと思い、気ままに書評を書いていきます。

夢と金

ベストセラーとなっている西野亮廣さんの最新本。彼がVoicyで話していることを体系的にわかりやすくまとめた内容になっている。その中からいくつかエッセンスを切り出してみる。

 

「プレミアム」と「ラグジュアリー」

たとえば、車のメーカーでいうと、ベンツやBMWがプレミアム。フェラーリランボルギーニがラグジュアリー。プレミアムであるベンツやBMWは、車としての機能や性能が高い上に、ある種ドヤれるブランドとして、意味がある。つまり、同じ機能や性能を持ち合わせているトヨタや日産よりは高くても売れる。

一方、ラグジュアリーであるフェラーリランボルギーニは、「役には立たないけど意味がある」というポジションにいる。2人しか乗れなかったり、ドアが縦に開いたり、350キロのスピードが出せたり、普段乗るの機能としては役に立たないものばかりだ。つまり「意味しかない」車である。

それぞれの値段を比べると、日本車はせいぜい200〜400万円、ベンツは700万円くらい、そしてスーパーカーは「数千万円」。つまり、「役に立つけど意味がない車」が一番安くて、「役に立つし意味がある車」が次に高くて、「役に立たないけど意味がある車」が最も高いという構図。

ここで「プレミアム」と「ラグジュアリー」の違いを説明すると、「プレミアム」とは「競合のいる中での最上位の体験」であり、「ラグジュアリー」とは「競合がいない体験」である。

 

ラグジュアリーのカラク

エルメスルイ・ヴィトンなどのハイブランドも競合がいないラグジュアリーに位置する。たとえばヴィトンを買う時、フラッとついでに買うということはない。ヴィトンを買いに行くと決めて家から店まで直行するはずだ。要するに目的を持って買いに行く人ばかりだ。であれば、ヴィトンの店舗はわざわざ都心の家賃の高い場所に店を構える必要はないはず。でも、わざわざ人通りの多い繁華街の一番家賃が高そうな場所にあえて店を構えているのはなぜか。

それは、「ラグジュアリーブランド」の位置を保つためだ。多くの人が店の前を歩いているのに、フラッと寄って買えるような値段の商品は置いていない。つまり、「多くの人が知っている」のに「買える人は少ない」という状態だ。これがラグジュアリーブランドだ。

ラグジュアリーを式にすると、「ラグジュアリー」=「認知度」−「普及度」

たとえばTシャツ一つとっても、ユニクロとヴィトンで、使っている素材や縫製の技術力の差はさほど変わらないが、値段が圧倒的に違うのは、この「ブランド戦略」によるものだ。

 

「ハイスペック」と「オーバースペック」

たとえばラーメン屋さん。味が「60点」のラーメンを「80点」にすれば「+200円」になるかもしれないが、「97点」のラーメンを「98点」にしたところで、「+100円」にはならない。にもかかわらず、ラーメン屋の職人は「技術」を追い求めている。

ほとんどのお客さんにとって、「97点」と「98点」の違いはわからない。大抵の人の満足度が「85点」だとすると、すでにそこは超えている。要するに、値段に反映しづらい「点数」を追い求めているわけで、言ってしまえば、「お金にならない努力」を続けているのだ。満足ラインを超えた技術を「オーバースペック」と呼ぶ。「オーバースペック」は自己満足であり、お客さんの満足度にはカウントされない。

日本の代表的な失敗例でいうと「携帯電話」だ。各メーカーはこぞって「軽さ」を競い合い、すでにユーザーにとってはどうでも良いことに技術力を費やしていた。そこにiPhoneという黒船がやってきて、一気にゲームチェンジをされ、日本のメーカーは歴史的敗北をすることになった。

商売において「オーバースペック」は意味をなさない。無駄な資源を投じるだけだ。

 

「機能検索」から「人検索」へ

これもラーメン屋の例だが、今の時代に営業できているラーメン屋さんはどこも美味しい。不味くてハズレの店なんかない。美味しさが大体どこも同じなら、「ラーメン店A」よりも「ラーメン店B」よりも「いつもお世話になっている山田さんのラーメン屋さん」が選ばれるようになる。

「人検索」の世界では、「購買」と「支援」の境界線が曖昧になり、あらゆるサービスが「クラウドファンディング」や「ファンイベント」のように扱われる。つまり、商品を買う理由に「応援」という項目が入ってくる。そして何より、値下げをする必要がない。お客さんは人検索で選んだお店でクーポンを使わないし、むしろお金を使ってくれる。そこには、「応援代」が含まれているからだ。

 

「不便」がもたらすコミュニケーション

富士山は5合目までは車で行けるが、そこから先は歩いて登らなくてはいけない。かなり不便だ。でも、これがもしゴンドラやエスカレーターができて頂上まで簡単に行けるとなると、どうなるだろうか。登頂時の達成感も無くなり、富士登山の面白みは無くなる。

BBQにしても、会場のスタッフが炭に火をつけ肉を焼いてくれたとしたら、自分たちで肉を焼くという面倒は無くなるが、同時に楽しさも半減する。「不便」なところにコミュニケーションが生まれる。逆にいうと、不便のないところにコミュニケーションは生まれない。

そして、機能で差別化を図れなくなった現代においては、その「コミュニケーション」が最大の付加価値になってくる。自社のサービスに、あえて「不便」を戦略的にデザインすることが重要である。

 

最後に

西野亮廣さんは、「無」から「価値」を創り出す天才だ。みんなを巻き込み、熱狂を作り出し、そのサービスに「意味」を作り出す。なかなか素人が出来ることではないが、考え方としてはインプットしておく必要があると思う。

 

 

 

付加価値のつくりかた 一番大切なのに誰も教えてくれなかった仕事の本質

付加価値とは何か?付加価値とは、「お客様のニーズを叶えるもので、そしてその価値はお客様が決めるものである」

 

自社商品の特徴ばかりを並べるのではなく、お客様の得られる利益(ベネフィット)は何か?から着想すること。つまり、どうすれば売れるのか?ではなく、なぜお客様が買うのか?から考えるということ。

 

それは「付加価値」か「ムダ」か

かつて、ある大手家電メーカーが「洗浄力ナンバー1」と謳った洗濯機を開発した。そのメーカーは特徴の第一ポイントとして「洗浄力」を挙げ、商品ホームページの大部分を使って洗浄力に関する情報を載せ、大々的に広告した。しかし空振りした。力を入れた割に全然売れなかった。それはなぜか?

消費者にとって、洗濯機の洗浄力にそんなに不満はないからだ。ある一定の性能レベルを超えれば「洗濯機の洗浄力」には価値がない。それよりも、「容量」や「乾燥機能」、「静寂性」「節水・節電」「デザイン」などに価値を感じている。つまり、このメーカーは「顧客が本当に求めている価値」を見誤って、ムダな高性能を搭載した洗濯機を開発してしまったのだ。

 

価値はお客様が決める

10年目の結婚記念日にディナーを予約しようとした時、イタリアンではなくフレンチにしようとして問い合わせた際、ホテルスタッフは言ってはいけない一言を言った。

「お客様、そちらのプランは少し高くなっておりまして、16万円するんですが・・・」

これは妻と私の大事な結婚記念日だ。私たちの結婚記念日に、いくらくらいのお金を支払ってどんなお祝いをするか、それが高いか安いかを決めるのは私たちだ。

なぜ売り手が勝手に「高い」と、サービスの価値を決めてしまうのだろうか。

逆に記念日をより特別な日にするべくホテルがあらゆるサービスを提供すれば、価格は3倍になってもお客様は買う。提供サービスの価値はお客様が決めるものだ。

 

顕在ニーズと潜在ニーズ

顕在ニーズは、目に見えてわかりやすいお客様のニーズ。潜在ニーズは、お客様自身も気づいていない隠れたニーズ。「そうそう、それそれ」とうインサイトをつくもの。そしてこれを見つけるには現場に足を運ばないとわからない。現場を調査・観察して初めて潜在ニーズが見えてくる。

 

顧客の顧客を喜ばせることを考える

法人顧客に対する「付加価値」とは、顧客の顧客を喜ばせることだ。お客様が欲しいのは「自分の成功」、つまりその先にいるエンドユーザーに売れること、感謝されること。そのサポートをするのが営業だ。

そのために、お客様のニーズを①明確に②完全に③認識のずれなく、理解すること

ただし、お客様に対する姿勢として注意が必要なのは、知識マウントを取らないことだ。それは嫌われるだけだ。

 

得られる利益を具体的に数字で表す

キーエンスでは「すべてを数値で判断する」という企業文化が根付いている)感情論や精神論で判断はしない。

個人の属人的な頑張りよりも、仕組みの価値が非常に大切にされている会社である。

 

 

 

 

なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である

あのWindows95を立ち上げた元マイクロソフト伝説のプログラマーである中島聡氏の時間術、そして仕事への向き合い方はどのようなものだったのだろうか。

 

最初に頑張るアメリカ人、最後に頑張る日本人

アメリカのビジネスパーソンは総じて朝が早い。朝の7時に会社に来て、夕方の5時や6時には帰るという仕事のスタイルを持っている。朝が早いため10時間は働いていることになる。日本では夜遅くまで会社に残ることが美徳とされる文化がある。長時間働いているように見えるが、朝早くに来ているアメリカ人と労働時間は変わらない。

アメリカ人がなぜ夕方には帰るのかというと、それは家族を大事にしているからだ。アメリカでは夕飯を家族みんなで食べるという文化が非常に根強い。あともう一つ。公共交通機関が発達していないため、子供が部活していると親が迎えに行かなくてはいけない。そういう事情もあり、夕方で切り上げる必要がある。

 

すべての仕事は必ずやり直しになる

たとえば、石膏を削って胸像を作るとき、いきなり眉毛の一本一本にこだわって細い彫刻刀を使う人はいない。そんなことしたら後から全体のバランスがおかしくなって失敗するだろう。普通はまず大きく輪郭を粗削りするところから始める。

これと同じように、仕事においてもまずは粗削り(プロトタイプ)から始める。スマホのアプリがなぜあんなにもアップデートが多いのかというと、リリース段階では100%ではないからだ。リリース後にバグを修正していく、あるいはブラッシュアップしていく。別の言い方をすると、100点にこだわるあまり、納期を守れない方がまずいことなのだ。必ず納期を守って提出する。そのあとに修正を加えていき100点に近づけていくことだ。

 

花さえ用意できれば、裏で昼寝してもいい

ビル・ゲイツは待ち合わせや締め切りに遅れる人をこの世で一番嫌っていたそうだ。そして論理的に言い訳をする人を特に嫌っていた。

たとえばあるパーティーがある時に、ビル・ゲイツがあなたに花を用意して欲しいと頼んだとする。あなたは花屋に電話をし、パーティー会場に花束を届けるように注文する。しかしパーティー当日、花屋から雪のせいで配達が遅れると連絡があり、それをあなたがビル・ゲイツに伝える。こういう時、ビル・ゲイツは尋常じゃないほど怒る。あなたが命じられた任務はパーティーに花を用意することであり、花屋に注文をすることではない。いかなる場合でも花を用意出来なかったのは100%あなたの怠慢であり責任を負うべきだ。もし花屋が雪の影響で配達が遅れるのであれば、あなたは何としてでも会場に花を届ける手段(代替案)を考えなければいけない。

 

ロケットスタートで一気につくる(2:8の法則)

たとえば上司から「これ10日でやっといて」という仕事が与えられた時、まずは2日で「ほぼ完成」まで持っていくことだ。スタートから猛烈に仕事に取り掛かる。2日で8割方できたという感覚が得られたなら上司に「10日でやります」と伝える。そして残りの8日間を使って「ゆったりと」完成まで持っていく。この段階で大切なのは、「全力で仕事と向き合う」ではなく「仕事の完成度を高める」である。8割の時間を使って2割の仕事をこなすのだから、そこに余裕が生まれる。心に余裕がある状態の時には、クリエイティブに付加価値を想像する時間が生まれる。完成までにブラッシュアップできるのだ。ここで大事なのが、早めにできたからと言って早めに提出してしまわないことだ。

 

やりたいことには思い切って飛び込む

たとえば英語を覚える時、将来何かしらの役に立つからという理由で勉強する人が多いが、それではなかなか覚えられない。それよりも、英語圏の外国へ行ってしまった方が英語は上達する。言い方を変えると、必要に迫られれば勉強せざるを得ないということだ。もっと言うと、何のために英語が必要なのかということだ。仕事でどうしても必要だとか、好きな異性を口説くためにどうしても必要だとか。単純に、生活していくためにどうしても覚える必要があるとか。何かの実践のために知識が必要な場合、知識はやりながら覚えていくべきだ。つまり、崖を飛び降りながら飛行機を組み立てていくということだ。これが究極の時間術である。

 

 

 



超雑談力 人づきあいがラクになる 誰とでも信頼関係が築ける

まずは大前提として、その相手と仲良くなりたいのかどうか。なりたいのであれば距離を縮めるために雑談は必要である。そして雑談は技術なので、習得が可能だということ。

 

おもしろい話をする必要はない。ただ会話の「ラリー」を続けることが重要

雑談というと、何かおもしろネタが必要なんじゃないかと思われるが、そんなのは必要ない。むしろ話の内容はどうでもよくて、あとから思い出せなくても全然よい。目的は相手との距離を縮めることだから、とにかく会話が途切れないよう「ラリー」を続けることだ。「結論」や「オチ」をつけなくてよい。むしろあってはいけない。要するに話をまとめて終わらせてはいけない。ただただ続きさえすれば良いのだ。

 

時事ネタやニュースを話すより自分のエピソードや経験談を話す。そして相手に振る

やってしまいがちなのが、時事ネタやニュースの話題を持ち出すことだ。もちろん絶対にダメというわけではないが、情報交換で終わってしまう可能性が高い。つまり、事実だけを話のネタにすると、会話が上滑りしてしまい、感情の交換ができない。そうではなく、自分自身のエピソードや体験談を話す。そうすれば感情もセットでついてくる。実際に体験したことは気持ちを乗せやすいのだ。そして大事なのが、自分の話(自己開示)をした後に相手に振り、相手に話させることだ。ある程度自己開示をすれば相手も話しやすくなる。

 

無理に共通点を探すのではなく、わからないことを教えもらう

相手との共有点がすぐに見つかればそれを掘って行けば良いのだが、そんなすぐに見つかるわけではない。その場合には、自分が知らないことを教えてもらえばよい。最初に「全然詳しくない」と断った上で、素直な質問を投げかけると相手は次第におしゃべりになっていく。そう、よくにわかファンが詳しい人に聞くそれだ。相手は、それはもう嬉しそうにとめどなく話し始めるだろう。そして、さらに話が広がりやすい質問が、「過去」「現在」「未来」にフォーカスを当てることだ。「昔からお好きなんですか?」「最近は何がおすすめですか?」「じゃあ今週も?」みたいな感じで。

 

趣味を聞くのではなく、最近ハマっているものを聞く

初対面同士の会話の定番に「趣味は何ですか?」というものがあるが、実はかなり相手にプレッシャーを与える質問である。趣味はどのレベルのものを指しているのだろう、趣味と胸を張って言えるほどではないな、とか、余計なことを相手に考えさせてしまう。これを、言い方を変えて、「最近ハマっていること(もの)ありますか?」と聞く。趣味と言われると構えてしまうけど、ハマっていることと言われると、割とすんなり答えてくれる。「どう思われるか」という他人の評価を気にしなくて済むからだ。逆に考えると、相手から趣味を聞かれたら、「趣味というわけじゃないんですけど」という前提をつけて、最近ハマっていることを言えばよい。相手も本当に重要を聞きたいわけじゃなくて、話のきっかけで質問してきているに過ぎないからだ。

 

 

 

「具体⇔抽象」トレーニング

具体的であるとか抽象的であるとか、言葉としてはよく使っているが、それぞれ深掘りしていくと本当の意味が分かってくる。そして、具体化、抽象化を行き来させることで思考が広がる。

 

「抽象病」

たとえば、政治家の結局何がやりたいのか分からない公約であったり、他人の失敗についてやたら批判ばかりで代替案を出さない人であったり、具体的な数字を言わない目標を語る人たちのことをいう。

つまり「抽象病」というのは、「口だけでアクションにつながっていない」ことで、こういう人たちは「具体化」の側面が不足している状態だ。抽象的であることは一般的に世の中で批判をされることが多く、「抽象的でわからない」とか「もっと具体策を出せ」といった形で抽象病は取り上げられる。

 

「具体病」

たとえば、「具体的事例」がないと理解も実行もできない人、言われたことをそのまま実行することしかできない人、一度ルールや線引きが行われると、それを絶対的なものとして信じて疑わず、環境の変化に適応できない人。

つまり「具体病」というのは、思考停止した状態であり、このような人の仕事は真っ先に機械やAIに置き換えられていく。指示が全て具体的になっていれば、それは機械でも実行可能だからだ。これから必要となってくるのは、具体的な事象を抽象化して応用を利かせることだ。

 

「持ち家か賃貸か?」から分かる共通点

よく住居に関して「持ち家か賃貸か?」の論争が繰り広げられているが、これと同じような構図の話が住居以外にもないだろうか。これを考えることが抽象化と具体化を行き来するトレーニングになる。

持ち家と賃貸物件を、建物や部屋の話ではなく、何かを「購入して所有するのか、購入せずに都度払いにするのか?」という風に抽象化して考えれば、たとえば車を所有するのかカーシェアで利用するのか、CDや本を買うのかサブスクで利用するのか、と同じ構図だとわかる。

さらに展開していくと、「所有と利用」という概念を「フローとストック」という風に抽象度を上げて考えることもできる。企業経営で言えば、フローとは損益計算書の対象となるもので、ストックとは貸借対照表の対象となるものだ。つまり、賃貸の場合は毎月の家賃を損益計算書に計上するフローであるのに対して、所有するのは「資産」として貸借対照表に計上されるストックとなる。

 

「抽象」とは正解のない答え

具体化と抽象化というのは、「自分の頭で考える」ための方法論である。本に書いてあることを「誰かが出した答え」(知識)として学ぶのではなく、自分の頭で考えることの方がはるかに重要である。

そして、私たちの身の回りの生活や仕事におけるほとんどの場面では、そもそも絶対的正解などなく、あるのはむしろ「これを解として先に進んでよいのだろうか?」という自問自答との戦いである。その人やその状況において、その人が「最善だと思う選択肢」のみがあり、それをどこまで自分が信じられるかどうか。

逆にいうと、自分が下した意思決定を行動に移す場面においては、「全て正解」だと思い込んで実行に移すことが重要である。反面、自分がコントロールできない他人の人生に対して「それは不正解だ」と口をはさむのはしないことだ。

 

まとめ

具体的であるとか抽象的であるとか、これはどちらが良いとか悪いとかではない。どちらも行き来することが重要であるということだ。何かの事象を見ては、一度それを抽象化して、同じ構図のものはないかと考える。そして応用、転用して新しいアイデアを生み出す。

ただ、こればかりを考えていると疲れるから、単純に見たものを感情のまま受け取ることも大事だと思う。

 

 

 



「価格上昇」時代のマーケティング

ウクライナ戦争によるエネルギー価格の高騰、そして急激な円安により、輸入に依存している原材料費の高騰が拍車をかけ、日常のあらゆる物が値上げされている。しかし、原価上昇による値上げのため、利益には転換されていないのが現状だ。

 

安い日本に起こる未来

ビジネスを営む者にとっても、この物価高は大問題だ。値上げをしたら顧客が離れてしまうかもしれない。価格にシビアな日本人は、安いのが当たり前で、長らく値上げをしてこなかったサービス提供者もまた、「値上げの方法」を知らない。

そうしているうちに、世界各国ではインフレが起きていて、いつのまにか日本が安い国になっていた。日本の中だけで完結できるのなら良いが、グローバリゼーションの現代においては、そういうわけにはいかない。たとえば、カニや牛タンなど、中国が買い占めていて、日本が「買い負け」して入手できない、あるいは買ってもめちゃくちゃ高い。中国だけでなく、インドやインドネシアといった人口の多い国々で富裕層や中流層が増加していくと、さらに日本は「買い負け」続けていくだろう。

 

消費者は二つの顔を持っている

安い日本になってしまった大きな理由は、日本人のデフレマインドであり、一円でも安くてはならないという呪縛だ。戦後の高度経済成長下においては、大量生産により「とにかく安くすること」が最優先だった。その後皆んなが豊かになり、必要なものは広く行き渡った。しかし、サービス提供者はその後も安く安く、良いものをより安くというマインドは変わらなかった。消費者の方も「節約マインド」は変わらない。

しかし一方で、生活費の節約に励んでいる主婦が、趣味の韓流関連や、ママ友と行くアフタヌーンティーには大いにつぎ込んでいたりする。つまり、ここでいう「節約」とは、「予算配分」の話であり、限られた予算の中でどう配分して使うかという話である。自分にとって意味があるものに対しては厭わず使い、そうでないものは徹底的にケチる。

 

「役に立つ」より「意味がある」

それでは、自分にとって意味があるものとはなんだろう。たとえば、燃費もよく高性能で壊れにくいトヨタの車はとても「役に立つ車」だ。一方、ランボルギーニフェラーリはうるさくて二人しか乗れないし日常で使うには不便だが、とても「意味がある車」だ。役に立つトヨタ車よりも意味のあるスーパーカーの方が価格がはるかに高い。利益率も雲泥の差だ。

たとえば、コンビニで売っているハサミは1、2種類くらいしかないが、タバコは何十種類もの銘柄が売られている。つまり、役に立つハサミは、競争率の高いコンビニで選ばれるのは1、2種類しかないが、役に立たないが(喫煙者にとって)意味のあるタバコは、何十種類も置いてもらえるということだ。ここで何が言いたいかというと、どんなジャンルにおいても、「意味がある=価値が高い」ということだ。

 

「価格」は「価値」に従う

お客様にとって意味のある商品やサービスにするにはどうすれば良いか。それは、その商品の「価値を伝える」ことだ。お客様がものを買うまでには、二つのハードルがある。最初のハードルは「買いたいか、買いたくないか」で、二つ目のハードルが「買えるか、買えないか」である。そして、ハードルが高いのは一つ目の「買いたいか、買いたくないか」であり、つまりお客様に「この商品を買う意味」を伝えることである。「価格を語る前に価値を語れ」が鉄則である。「価格」は「価値」に従うものだ。

伝える方法は、POPやチラシや看板、何でも良い。ここは行動経済学の領域だが、お客様の心理を掴み、インサイトをつく内容が良い。サービス提供者では当たり前のことが、消費者には当たり前でないことも多い。その専門知識を教えてあげるだけでも価値は上がる。でもこれは、実験する感覚でとにかく数を打って試すしかない。トライアンドエラーを繰り返しやることが大事。

 

比較対象を変える

価値を上げれば価格も上げられるが、値付けの際に一つポイントがある。それは、比較対象を変えるということだ。たとえば、インスタントラーメンの価格を決める際には、他社のインスタントラーメンと比較するのではなく、リアル店舗のラーメンと比較させるようにする。つまり、リアルな店舗の味を表現できれば、700円で売っても「ラーメン店に行くより安い」となる。スーパーで売っているお菓子も、高級感のあるパッケージで包み、POPに「デパ地下レベルのおいしさ」などと書けば、お客さんは「デパ地下のスイーツ」として認識して安く感じてもらえる。健康食品やサプリメントであれば、比較対象を「スポーツジム」にしてもよい。健康になる目的であれば同じことだと言える。これらの例は、もちろん品質に自信があってのことだが、逆に言うと、自信を持っている商品であれば、同業他社と比較するのではなく、もっと上位のジャンルと比較して価値を上げれば良い。

 

「返報性の法則」を活かす

中には、価格を上げられないものもある。国によって報酬が決められている医療費や、定価販売が義務付けられている新聞や雑誌、書籍など。その場合には「返報性の法則」を利用することだ。

「価格」は「価値」に従うものなので、価値を上げていけば価格も上がるのが自然だが、価値が上がっているにもかかわらず、価格が上がらないと、ここに「差分」ができる。すると、人の行動原理として、その差分を埋めて「等価」にしたいと考える。これが「返報性の法則」である。

具体的に何をするかというと、まずは定期的に通うようになりリピート購入する。そして何か別の提案を受ければ喜んで受け入れる。クロスセルをすんなり受け入れてくれる。お客様は心理的に等価になるよう行動してくれる。つまり、価格が変えられない境遇でも、粛々と価値を上げ、提供し続けることで、顧客のライフタイムバリューを上げることができる。

 

BtoBで価格を上げるために

それでは、シビアな法人顧客に値上げを受け入れてもらうためにはどうすれば良いか。ここでもポイントは「価格は価値に従う」だ。しかし、一個人に価値を説明するよりも、より丁寧に伝える必要がある。ビジュアルにこだわったパンフレットや、分析や数値も入った専門的な資料など、ツールには力を入れる。法人の場合には「買う」に至る意思決定者が何人もいるため、より説得力のある説明が求められる。

もう一つ大事なポイントが、「関係性」が「価値」を作るということだ。たとえば毎月の請求書に手書きのメッセージを添えるとか、相手も人間だから感情を動かすことも必要。常に「GIVE」の精神を持ち接することで、相手のマインドシェアを獲得する。

 

マスタービジネスで価格から解放される

商売人は自分の商売の分野において、お客さんよりずっと詳しい。お客さんは自分の知るべきことを知らずに苦労していたり、もっと楽しい世界があるのを知らないまま探している。ならば、商売人はそれを解決すべく、顧客に有益な価値を提供する「師匠」であるべき。「マスター=師匠」ビジネスとは、お客さんがまだ知らない価値を教えることによって、お客さんから対価を得ることである。それは同時に、「お客さんを育てる」ことでもある。こちらが価値あるものを売ろうとする時、お客さんがその価値を十分に理解できるだけのリテラシーを持っていることで、その価値がより伝わるようになるからだ。お客さんを価値のわかる顧客に育てていくこと。そして違いがわかる人になればなるほど、品質の高いものにはちゃんとそれだけの対価を払うという意識になる。

 

最後に

日本のように成熟した国では、生活していく上で必要なものはすべて揃っていて、東南アジア諸国のように、もっと便利な物が欲しいとか、もっと良いサービスを受けたいとか、物欲や成長欲が薄れてきている。なので、これと言って欲しい物が無い状態である。

であれば、欲しくなる物を提案していかなくてはならない。いまだ知らない「価値」を、消費者に教えてあげなくてはいけない。それが生活に役立たないものであっても、それがどんなに無駄な物でも、「自分にとって価値があるもの」であれば、価格はそんなに気にしないで購入するだろう。そもそも日本人はお金を貯め込みすぎなのだ。裏を返せば、欲しいと思うものが少な過ぎるのだと思う。成熟した世界においては、「無駄な物=豊かさ」であると言える。ゆえにアートや芸術品が育つのだろう。

 

 

 

 

メディアが報じない戦争のリアル

ロシアによるウクライナ侵攻を受け、中国による台湾への侵攻もあり得るのではないかとメディアは報じている。その際、日本も巻き込まれるのではないか、アメリカは助けてくれるのか、など、大半の人は不安になっていると思う。では、ファクトやデータをもとにその可能性を紐解いてみる。

 

中国による台湾有事の可能性

マスコミでは、「近い将来中国は台湾に攻め込んで軍事占領し、武力による台湾統一をはたすに違いない」と報じている。しかし、科学的、合理的に考えれば、武力行使、とりわけ上陸作戦はあり得ないことが分かる。

まず、軍事の常識に「攻める側は守る側の3倍以上の兵力が必要」というのがある。さらに、陸続きではなく島国に海から上陸するとなると、その数はさらに必要となる。第二次世界大戦中の硫黄島の戦いやノルマンディー上陸作戦では、攻める側の兵力は5倍に達していた。また、どんな場所からでも上陸できるわけではなく、台湾でいえばすべての海岸線のうち、上陸に適した場所は10%ほどで、14か所しかない。台湾としては、この限られた上陸適地に部隊を集中でき、ミサイルの標的にもしやすい。つまり、上陸作戦は物理的に考えて不可能に近い。となれば、中国は空からのミサイル攻撃しか武力行使できない。しかし、これを行使するとアメリカとの全面戦争を招く危険が大きすぎて、中国が採用するとは到底思えない。

 

台湾の海上封鎖はあり得るか

1962年、ソ連アメリカの喉元であるキューバに核ミサイル基地を建設して始まった「キューバ危機」は、ケネディ大統領がキューバに対する「海上封鎖」を通告し、核ミサイルの即時撤去を要求した。ソ連の拒否でアメリカは海上封鎖に踏み切り、米ソの緊張は衝突寸前まで高まった。結局、ソ連が引き、世界大戦は回避されたという歴史がある。

中国がアメリカと同じように、台湾の海上封鎖をしたらどうなるか。台湾本島へ出入する船舶を封鎖線で臨検(停止させ強制的に立ち入り検査などをする)し、出る船を出さず、入る船を入れないようにする。その結果、台湾側が突破を断念したり、逆に、アメリカや日本の圧力で中国側が封鎖線を解いたりすれば軍事衝突は回避される。ところが、臨検現場で小競り合いなどが起こると、一気に軍事衝突に発展していく危険性がある。

 

中国はハイブリッド戦を追求する

武力で無理やり取り込むことはできなくても、台湾統一は中国の、いや習近平国家主席の悲願なので、必ずや何かしらの行動を起こすだろう。そして、現実的な手法として「ハイブリッド戦法」を繰り広げていく。これは、軍事力の行使も含むが、政治、経済、宗教、心理、文化、思想など、社会を構成するすべての要素を「兵器化する」ということで、つまり「何でもあり」の戦法だ。味方の戦闘意欲を掻き立て、敵の戦闘意欲を殺ぐ国内外の世論づくりで、新聞・雑誌・出版・ラジオ・テレビ・インターネットなどメディアが駆使される。

2014年のロシアによるクリミア併合の例でいうと、所属不明の武装集団が士気の低いウクライナ軍を駆逐し、ロシア寄りの住民の支持のもと、ロシアへの併合が「無血で」行われた。このように、中国も台湾の民心を中国寄りにするため、あらゆる手段を行使すると見なければならない。

 

日米同盟は強固な関係

戦後の日本はアメリカ以外に同盟を組む選択肢はなかった。戦後、米軍を中心とする連合国軍最高司令部(GHQ)に占領された日本は、アメリカ一国に占領されたも同然だった。北方領土を占領したソ連は、もっと領土を要求していたが、アメリカは拒否した。アメリカは日本と同じ資本主義国でもあるし、当時GHQが日本の非軍事化と民主化、そして経済復興を推進し、迅速に政策を打ち出した。そして、1950年から始まった朝鮮戦争により、在日米軍がすべて韓国へ派兵された為、自国を守る目的で自衛隊のもととなる警察予備隊が作られる。そして翌年、サンフランシスコ講和条約にて日本は独立を回復し、同時にアメリカと日米安全保障条約も調印された。ソ連など共産主義国の脅威に対して、今までずっとアメリカの核の傘に守られてきたのは、強固な日米同盟があったからこそだ。

 

アメリカにとって日本は最重要

日本にとってアメリカは、国の安全保障のために欠かせない存在だが、アメリカにとって日本はどれくらい大事なのか。アメリカにとっての日本の位置付けを企業に例えると、アメリカ本土を東京本社だとすれば、日本は大阪本社だ。その他の同盟国は支店や営業所にすぎない。実はそれくらい最重要である。それはなぜか。

それは地政学的にも日本は重要なポジションにあるからだ。もしアメリカが引くとなると、西太平洋とインド洋は中国やロシアに支配されてしまう。中国、ロシア、北朝鮮共産主義国が固まっているこの地域に対抗するには、日本の位置が死活的に重要である。とくに沖縄は、弾道ミサイルが届く位置としては、世界をほぼほぼカバー出来るくらいの好立地にある。もし日米同盟を解消したら、アメリカは世界のリーダーの座から滑り落ちるくらいのインパクトがある。

 

世界最高レベルのASW能力

それでは、日本は一方的にアメリカに守られているだけかというと、そんなことはない。もちろん、軍事力でいうと自衛隊は自国を守るだけの実力しかないが、部分的に見ると世界最高レベルの能力を備えている。それは、海上自衛隊のASW(対潜水艦戦)能力だ。ASWとは、簡単に言うと「海の中の戦い」であり、他国の艦艇や潜水艦の脅威に対して、常に監視し、攻撃力を備えておく能力だ。海自はこれが世界トップレベルにあるということだ。たとえば、中国海軍の艦艇が、東シナ海南シナ海から、日米に気づかれずに日本海・太平洋・インド洋へ出ることは、絶対に出来ない。こんなにもASWが強力な海域は、他に世界のどこにもない。また、海上自衛隊のASWは、アメリカの核戦略を支えているという一面もある。米太平洋艦隊の弾道ミサイル原潜8隻は、シアトルから北東太平洋にかけての海中を回っていて、これを外国が攻撃するほぼ唯一の手段は攻撃型原潜だ。そこで日本の海上自衛隊は、ロシアや中国の原潜を常時監視し、探知や追尾のためのデータを米海軍に提供している。つまり、弾道ミサイル原潜の生存性に大きく貢献しているのだ。

 

日本の核武装はあり得ない

たとえば、日本が日米同盟を解消して「武装中立」をした場合、一体どれくらいのコストがかかるのか。現在の日米同盟の維持コストは、ざっくり1兆7700億円で、防衛費全体で考えても年間5兆円だ。仮にすべてを自主防衛にすると、年間22〜23兆円かかる。なにしろ、日本周辺各地の兵力は陸軍だけでも、台湾9万人、韓国46万人、北朝鮮110万人、中国97万人、極東ロシア8万人といった人数だ。自衛隊の22万人ではまるで足りない。費用面だけみても、日米同盟がいかにコスパが良いかが分かる。

また、日本も核武装をすればよいのではないかという声もあるが、現実的にそれはあり得ない。まず、日本の軍事力を制限し、日本の軍事的な自力を否定してきたアメリカが、日本の核武装を許すはずがない。日本が核武装を目指すには、アメリカとの同盟を解消することになり、武装中立の道を歩むしかなくなる。それがいかに無謀なことか、小学生でもわかる。